Cisco Exclusive Interview「自分流『検索エンジン』づくりのススメ」荒俣宏

INDEX

  1. この世の不思議に知の体系を与えた「博物学」
  2. 博物学的快楽とITの密接な関係
  3. 自分流「検索エンジン」づくりのススメ
  4. 「罪深きサラリーマン」になりましょう
  5. とことん「源」まで遡りたい

博物学的快楽とITの密接な関係

―荒俣さんは「今こそ、博物学の時代」とおっしゃっていますが、これはどういう意味でしょうか。

博物学というのは、それが実際に存在しようがしまいがお構いなしに、観念 (アイデア) あるいはデータとして並べる方法を開発した、非常に懐の深いバーチャルな世界像をつくる技術です。つまり、分類学ですね。ある事物やアイデアにバイナリなコードを与えたら、それであらゆるものをつなげて整理できてしまう。ボクからすると、このへんが非常にコンピュータワールド的だと思うわけです。

博物学的な分類学というのは、漢字を例にとるとわかりやすいと思うんですが、たとえば虫偏の漢字を見れば、その意味するところが、虫か、それに似たような生き物だろうということが、我々、漢字の国の人間にはすぐにわかりますよね。つまり、「虫偏 = 虫 (のようなもの)」というのが検索コードとして作用しているわけです。漢字のこういうヴィジュアルを前提にしたラベル付けと整理手法は、まさに博物学的であり、また、コンピュータの世界ともよく似ているような気がします。

一方で、コンピュータというのは、まず、言語 (コード) ありきの世界なんですよね。その昔、文字 (フォント) を使ってモナリザの絵をコンピュータで描いて喜んでいた時代があったように、基本的には絵も音も文字もコード情報で成り立っている世界です。そんな時代からさまざまなプロセスを経て、今やコンピュータを扱う人間は、言語だのコードだのという裏側の仕組みを知る必要は一切なくなり、画面上に表現された画像についてだけ考えればよくなりました。

視覚というのは、人工的な定義づけが不要の、それ自体が普遍でナチュラルなコード体系であり、そこに名前というコードを与えることで、検索機能を付加したのが博物学なわけですから、ピクチャーとコードの融合という意味で、やはり、コンピュータと博物学というのは非常に近い関係にあると思います。

携帯電話などは、音→文字→絵文字→写真ときて、今や電話というよりも視覚によるコミュニケーションツールになりつつありますし、インターネットを通じ、興味ある画像に名前やコメントをつけて管理するというスタイルも、まさに博物学的な快楽の追求そのもの。こういう最近の流れを見ると、我々は、ますます「絵」にしか反応しなくなってきていると感じますし、世の中が「自然」のコードに近づいてきたような印象さえ持ちます。

やはり、博物学的の分類法から端を発した「ヴィジュアル + コード (名前、タイトル、コメント)」による情報の管理法というのは、我々人間にとって、非常にわかりやすく、かつ画期的な発見だと思うわけですよ。誰もが端末機を持ち、バーチャルな情報のやり取りを行うこの時代に、古くさい博物学の分類法が再評価されつつあるのも、しごく当然の成り行きといえるかもしれません。

次ページへ