Cisco Exclusive Interview「ハートにブレーキをかけるな! ~赤信号を渡れない人間に未来はない」片山右京

日本人ドライバーで最も F1 のポールポジションに近かった男、片山右京。その少年のような外見とは裏腹の闘志あふれるドライビングに、世界は彼を「カミカゼ・ウキョー」と呼んだ。 そして、今、危険と隣り合わせのチャレンジに臨む一方で、エゴを超えたポリティカル・コレクトに向けて日々を疾走し続ける…。 41歳になったカミカゼが語る「自分をあきらめない秘訣」とは。

INDEX

  1. たかが F1、ボクにはもっと大切なことがある
  2. 対決! 黒右京 vs 白右京
  3. チャレンジとは、本来の自分を取り戻す行為
  4. まずは小さなことから不良してみませんか?
  5. その人の限界は、自分の予測を遥かに超えたところにある

たかが F1、ボクにはもっと大切なことがある

― あれだけ頂点に近づきながら、97年に右京さんはあっさり F1 の舞台を降りてしまいました。まだ、ポールポジションを獲るチャンスは十分にあったように思うのですが、なぜ、あの時期に F1 から退かれたのでしょうか?

とにかく時間がムダだな、と思ったんですね。一生を考えたら、サーキットでチャレンジし続けることは無意味じゃないかと。挑戦すること、自分の力を試すことがボクの信条のはずなのに、あの頃のボクにとって F1 はすでにそういう場所じゃなくなっていたんです。確かに F1 にい続ければ高額な収入があったでしょうし、世間からもチヤホヤされていたでしょう。でも、そういう物質的なことより、もっと大切なことがあると思った。ま、カッコよく言えば、たかが F1 じゃないか、という気持ちですね (笑) 。

離れてからずいぶん時間が経った今となっては、すべての栄光がそろった F1 という舞台に対して、ノスタルジックな気分になることもありますし、後悔が全くないかといったら、そんなことはありません。でも、前向きに人生にトライするなら、やはりあの決断しかなかったような気がします。

― ドライビング、登山など、右京さんは常に死と隣り合わせの分野にチャレンジされている印象があるのですが、危険への憧れ、あるいは親近感のようなものがあるのでしょうか?

自分としては、あえて危険を求めている意識はなくて、ただ好きなことをやってるだけなんですけどね。ボクにとって大事なのは「自分がどこまで行けるのか」ということ。だから、自分の限界を試すためにいつも「ギリギリの場」を求めていて、それがたまたまサーキットであったり山であったりするだけじゃないかと思うんです。

死への恐怖心というのは、ゼロではないけれど大したことはないですね。人間、どうせ一度は死ぬんだし。それがガンにかかって病院のベッドの上で死ぬのか、山の中や道路の上になるのかだけの違いですから。

ボクのやってることなんて、第三者に対して何の物理的な利益を生まない。そういう意味ではひどく非生産的なことを、必死になってやってるわけです。だけど、どんなにカッコ悪くても、人に笑われても、失敗してもいいから、ボクは自分のハートが求めていることをやる。その姿を見て「頑張ることは少しも恥ずかしいことじゃない」と感じてもらえたらすごく嬉しいですね。

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