Cisco Exclusive Interview「勝ち抜きたいなら、実現する夢を見よう ~宇宙の歴史の中に小さなひっかき傷を残したい」南場智子 (株)ディー・エヌ・エー代表取締役社長

「机上の戦略家でいるより現場で血ヘドを吐きたい」と、マッキンゼーのパートナーという地位をあっさり捨てて飛び込んだオンラインマーケットの世界。ネットオークションサイト「ビッダーズ」の代表として、また希代の女性ベンチャー起業家として、常に注目を集める南場智子氏。持ち前の負けん気とチャレンジャー精神で「バーチャル市場」に新しい風を吹き込み続ける南場氏のエナジーの「秘密」に迫る。

INDEX

  1. 駆け出し時代の大きな転機
  2. 「花より団子」の社長業
  3. 「ビッダーズ」が拓いた新たな流通コード
  4. 「やっちまった」ことへの責任感で突っ走る
  5. 個のパワーとITネットワークの幸福な関係とは

駆け出し時代の大きな転機

― 現在はオークションサイト「ビッダーズ」の社長としてその名を知られる南場さんですが、前職はマッキンゼー・アンド・カンパニーのコンサルタントでした。キャリアのスタートにコンサルタントという職種を選ばれたのはなぜですか。

コンサルタントという職業を選んだのは、そのジャンルが特に好きとか向いているとかいうよりも、男女の区別なく力を発揮できる「場」を求めてのことでした。当時の日本にはまだそういう土壌ができていなくて、その数少ない受け入れ先がマッキンゼーであり、コンサルタントという職種だったんです。

ですから、入社してからが大変でしたね。いくら新人だとはいえ、まるで仕事ができない。自分がダメだという自覚があるので、夜中の 3時、4時まで働いて、翌朝は 9時出社という生活をずっと続けましたが、どんなにガムシャラに働いても成果が出ないものは出ないんですよ。役に立てていないという申し訳なさで、本当にいたたまれない毎日でした。

結局、2年だけ頑張って辞表を出し、逃げるようにハーバード大学のビジネススクールに留学しました。ゲンキンなもので、通学初日にはマッキンゼーでのイヤな記憶はきれいさっぱり忘れていましたね (笑) 。ただ、根っから和食好きの私にとって、アメリカでの食生活はどうにも合わなくて。MBA 取得後は現地での就職も視野に入れていたのですが、やはり日本に帰ろうと。そう思ったとき、留学中も非常によくしてくれた古巣のマッキンゼーが、ありがたいことに大喜びで迎え入れてくれたんです。しかし、復職した瞬間、イヤな思い出がいっぺんにフラッシュバックしてきて、初日にはもう出戻ったことを後悔していました (笑) 。

― しかし、その後は順調にキャリアを重ね、マッキンゼーのパートナー職という最高のポストにまで登りつめましたよね? この見事な変身ぶりには、何か、これといった転機があったのでしょうか。

「たった一回の成功体験がすべてを変えることもある」ということですね。復職直後の仕事が全然うまく行かず、図太い私もさすがにノイローゼになりかけたんですよ (笑) 。ところが、その次に任されたプロジェクトが非常にうまくいったことが、コンサルタントとしての大きな転機になりました。

今、思えば、よく私に任せてくれたと思うほど、マッキンゼーにとっても大きなプロジェクトでした。このときのスタッフたちが本当にうまく形をつくってくれて、私を上手におみこしの上に担ぎ上げてくれた。チームワークの妙、コンサルタントという仕事の面白さを初めて実感できたプロジェクトでした。それまでは自分がどう評価されるかということにすごくこだわっていたのですが、実はそんなことはどうでもよくて、お客さんの役に立てればいい、つまり成果さえ出せば、個人がどう評価されようが構わないじゃないかと、まるで憑き物が落ちたようにスッキリしちゃったんですよ。そうしたら、それからは面白いように私の担当するプロジェクトが成功するようになって……。「ダメならダメでいいから、とにかくお客さんの役に立ちたい」という気持ち。これが、今の自分につながる根幹の部分なんだろうと思います。

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